兼業主婦マツノの日毎夜毎

出産・育児・家事・仕事のドタバタ劇を拙いイラストを中心に綴っております。趣味の写真、観葉植物、切り花、グルメ情報やレシピなど様々なカテゴリーも!

祖母との最期の会話〜供養というのは生き続けることという考え方〜

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いつもご覧いただきまして

ありがとうございます(^_^)

 

 

お盆も終わってしまいましたが

8月17日が祖母の四十九日でした。

今日はその事について触れたいと思います。

人の生死の話や宗教観にも

関わる話になりますので

その辺にご理解のある方のみ

ご覧下さいm(_ _)m💦

 

 

 

たまたまトモの四十九日の事で

供養がどうたら描く機会が多いですが

私は特定の宗教を信仰しているわけではないです!( ◠‿◠ )

この供養の仕方や自分のしたことが絶対的に正しいとも思っていません。

 

 

 

 

まずは漫画をまとめています⇩⇩

 

 

 

 

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いきなり【思い出】にはならない

 

 

過去の記事でも何度か登場した

祖母は6月30日に天国に旅立ちました。

 

中学生ごろまでは祖母と住んでいたので

私の母親代わりのような存在の祖母。

まだまだ受け止められず

時にはトモの死産の事が

フラッシュバックしたりしました。

 

どうして人を亡くすというのは

こんなにも自分が揺らいで

茫然自失になるのだろう。

 

料理の最中に思った味が出なければ

祖母に電話してレシピを聞きたくなる。

冠婚葬祭で自信が無いマナーがあれば

祖母を頼りたくなる。

その度に胸が張り裂けるような

寂しさと祖母の笑顔が頭に浮かびました。

 

その時『あぁ、そんなにすぐに人は

(思い出)にはならないんだな』

とふと思いました。

 

私はまだ祖母を想い出には出来ない。

 

故人を偲ぶには想い出が必要で

その想い出を大切にしながら

生きていくしか無い。

 

でも、まだ…

そんなすぐに祖母を思う気持ちは

想い出にはなってくれませんでした。

 

本当に大切な人を亡くすことを

受け止めるには時間がかかりますね。

 

 

 

 

最期の会話

 

 

 

祖母を亡くし1番に思ったことは

【声が聞きたい】ということ。

写真は沢山残っているのに

動いて、話している祖母の姿は

あまりにも少ない。

 

そういえば私は最期祖母と

どんな会話をしたんだろう。

通話履歴などを遡りながらみていると

亡くなる3週間前にお見舞いに

行っていた祖父経由で話をしました。

 

 

脳梗塞の後遺症で

まだらボケになっていた祖母。

 

『なんで来てくれないの?寂しい寂しい』

 

と電話越しに泣く祖母に

私はなんと声もかけたのか覚えていないほど

坊ちゃんの世話で忙しいからと

『退院したら会えるからね。』などと

テキトーにあしらい電話を切った気がします。

 

それが最期の電話だとも

祖母の声が聞ける最期だとも思わず

通話を終わらせました。

 

悔やんでも悔やみきれません。

 

おばあちゃん、ぼけてるから

何言っても分かってないとか思ってごめん。

 

本当に寂しかったんだね。

ごめんね、ちゃんと話聞けなくて…。

 

 

 

亡くなった人はどこに行くのだろう

 

 

 

そうして、あっという間に迎えた四十九日。

お坊さんが読経に来られた時

 

『ここは良い風が吹きますね』

とおっしゃいました。

 

そう、納棺の時と

同じような風が。

 

うだるような暑さの中

お坊さんがこられたその一瞬だけ

ふわ〜…っと

やわらかな風が吹きました。

 

『おばあちゃんかなぁ』

 

そう思った私は

お経も始まっていないのに

泣き出しそうで、皆に気付かれないよう

こっそりと涙を拭いました。

 

祖母の生前付き合いがあった

その住職さんは

私たちにこう仰いました。

 

『死んだ人はどこに行くのだろう?

死んだら終わりか、そう思うかもしれない。

でもね、こうやって家族が集まって

その人を偲ぶ、想う、極楽を願う。

そしてあなた達がお祖母さんの血を

これからも受け継いで生きていく。

おばあちゃんも、仏さんも決してみえる存在ではないけどあなたの心の中に存在するでしょう。』

 

祖母や、トモの顔が浮かんで

涙と共に消えなんとも

言えない気持ちになりました。

 

 

 

みんなで遺影を囲んで

 

 

四十九日法要が終わり

お昼ご飯を作りました。

そうめんを沢山茹で

姉が祖母の得意料理だった

出汁のきいた

だし巻き卵を作ってくれ

祖母の遺影にも供えながら

みんなで食べました。

 

 

そして、束の間の休息。

 

今日をただの悲しい日の

続きにしたくなくて

遺影を囲んでみんなで集まって

写真を撮りました。

最期の変わり果てた祖母ではなく

遺影の中で笑う、ピース姿の祖母を真似て

みんなで祖母と同じピースをして

笑顔で写真を撮りました。

 

 

 

最高の祖母。

私のお母さんのような存在。

大好きだった、これからも大好きな人。

私たち孫はみんなそう思っています。

 

 

 

そんな祖母の遺伝子を引き継いで

祖母が生きた証を私たちが

生きていくことで残していく。

そう思ってこれからを

生きていこうと思います。

 

いつも重苦しい話で申し訳ないです🥺💦

今日もご覧頂きありがとうございました^_^