兼業主婦マツノの日毎夜毎

出産・育児・家事・仕事のドタバタ劇を拙いイラストを中心に綴っております。趣味の写真、観葉植物、切り花、グルメ情報やレシピなど様々なカテゴリーも!

亡き我が子へのプレゼント、芽生えた『やりたい事』

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お久しぶりです、マツノです。

先日息子の1歳半の月命日を迎えました。

私の中で新たな想いの芽生えもあり

今日はその決意表明を。

 

 

 

 

戸籍にも残せない我が子に最後のプレゼントを

 

みなさんご存知かどうかは分かりませんが

死産となってしまった子は戸籍に残りません。

お腹の中で亡くなってしまうと

どれだけ臨月だろうが、さっきまで心臓が動いてようが

普通のお産と変わらない苦しい思いをして

産声のに出産をしようが

家族として戸籍には残らないのです。

 

「戸籍に残らなくても、私の大事な家族」

 

そう思っていても、まるであの子はこの世に存在しなかったかのように

時間は流れていく。この事実が思いの外辛いのです。

 

生まれてきたら山ほどしてあげたいことがあったのに。

沢山のものや経験をあの子にプレゼントしたかった。

でもトモ宛に届くものはこの先何一つない。

 

こんな思いを我が子を亡くされた親御さん

皆がしているんじゃないか?

 

そう思った時、私の拙い絵ではあるけれども

一人ひとりの胸にある「忘れたくないあの瞬間」を

絵にして「亡き我が子へのプレゼント」として

その子の名前で送らせてもらったり、

ご家族のお送りすることができないか?と思っています。

 

では、具体的にその絵を意味のある花言葉を込めて

フラワーフレームにはめてお渡しするか

イラストデータのみでお渡しするかや

しっかり請け負えるようなサイトを立ち上げるかなど

仕事と並行しながら模索中です。

 

 

私は、トモが確かにここに存在していた事を証明したくて

トモとの日々を漫画にしてきました。

最近は「この瞬間は忘れたくないなあ」というような場面を

絵にして描き残すようにしています。

こんな感じです⇩⇩

 

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お腹にトモがいた、元気に動いていたころの私の姿や

産声のない出産をしてすぐに目に入った

18トリソミー特有のオーバーラッピングフィンガー、

小さな小さな可愛い手。

そして、棺桶いっぱいに敷き詰めたお花やプレゼントと一緒の

最後の姿。

 

忘れたくない一瞬ならなんでもいいと思っています。

 

今はInstagramでプレゼント企画として

5名の方にデータのみをお渡しする企画を行なっています。

もしこのブログを見て「ぜひ」という方がいらっしゃいましたら

このブログやInstagramにコメントをいただけると嬉しいです。

11/27までご応募しています^^

 @22matsuno というアカウントでプレゼント企画を行なっています。

 
 
 
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お祝いしてあげたい気持ち・息子の言葉

 

 

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このブログのトップページにも挙げている

「1周忌ではなく誕生日と呼びたい」という思いは

今も変わらずに胸にあり

 

毎月の月命日は「1歳半おめでとう」と

手を合わせ、みんなでケーキを食べながらお祝いをしています。

この間はあの日から18回目の月命日。

1年半という月日は色々なことを整理するには十分な時間かも知れませんが

命日はどうしても涙が出て様々な思いがこみ上げてきます。

3歳になる坊ちゃんも毎月ケーキが食べられて嬉しいな〜♪だけの単純な思いから

「なんで?」という思いが徐々に湧いてきたようで

「トモ、おめでとうやのにどこにいるの?」と聞かれました。

 

私は写真を見せながら

「トモは坊ちゃんの弟で、今日はトモが生まれた日だからお祝いしてるんだよ。

でも病気でもうお空に行っちゃったからここには居ないんだよ。」

と初めて病気というワードを出しながら説明しました。

 

「びょうきでうまれてこられなかったの?」

「だから、ここにはいないの?」

 

坊ちゃんは眉を潜めて写真を見て

 

「さみしいね…」

 

と言いました。

 

それはトモにむけた言葉なのか自分がさみしいという意味なのか

わかりませんでしたが、3歳ながらにいろんな事を

感じ取ってくれているんだろうなという思いがありました。

 

 

 

写真をみながら思う事

 

その夜は坊ちゃんの言った言葉や自分のやろうとしていることを考えながら

トモの写真を見返していろんな事をお考えました。

 

スマホに入っている写真はもちろん色あせないし、

あの産声を上げなかった小さな姿のままトモはそこにいて

いつでも観ることができる。

 

でも、あの時の思いや、感触、ほのかなあたたかさ。

 

写真だけでは薄れていってしまうことがある。

わたしはそれを忘れたくないと思うのに、悔しい。

 

絵は確かに色あせてしまうかもしれないけれど

思いが詰まってて、色彩から感じるあたたかさもある。

 

私は写真も撮るし絵も描くのでどちらの良さも知っています。

もちろん、どちらもプロではないですし

素人の拙いものではありますが

もし、この思いに少しでも救われる方がおられるなら

思いをお聞かせ願いたいなと思っています。

 

 

 

 

長くなりましたがここまで

ご覧いただきありがとうございましたm(__)m

 

 

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