兼業主婦マツノの日毎夜毎

出産・育児・家事・仕事のドタバタ劇を拙いイラストを中心に綴っております。趣味の写真、観葉植物、切り花、グルメ情報やレシピなど様々なカテゴリーも!

280日後に会いたかったあなたへ19

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※死産関係の投稿です。

滲んだちや棺桶の描写があります。

ご理解のある方のみご覧ください※

 

 

 

 

 

 

前回の280日後に会いたかったあなたへ18は

こちらからご覧いただけます。⇩⇩

 

 

www.matsunomatsuno.com

 

 

 

 

それ以前の死産関係の投稿は

右上にあるサイドバーの

死産カテゴリーから

全てご覧いただけます( ◠‿◠ )

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは続きます。⇩⇩

⇩⇩

 

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ぶかぶかの新生児服

 

とも君を出産し、

産後ハイ?なのか

胎盤を出されているのに

痛みをあまり感じず

ずっと抱っこしたままで過ごしました。

 

へその緒をヤサさんに

切ってもらった事もそうですが

 

『めちゃくちゃ辛かったけど

 バースプラン書いて良かったなぁ』

 

と思うことが沢山ありました。

 

体重、身長を測り

ガーゼやタオルではなく

自分たちで選んだ可愛い服に

着替えさせられた。

 

名前を呼んで欲しいと

伝えていた事もよかった。

 

この子がこの先の未来で

名前を呼んでもらう事は

生きている子と比べると

圧倒的に少ないだろう。

 

なので、生まれる前から

 

『とも君、頑張ってるよー!』

『とも君出てくるの上手だねー!』

 

と呼ばれる息子の名前が

とても嬉しかった。

 

なにより、この世に生まれることが

叶わなかった息子を生きている子と

同じように丁重に扱ったり、

どんどん出来ることの

提案をしていただけ事にも救われた。

 

それはバースプランという

<我が子をどのように迎えたいか>という

意思表示をしっかり

示していたからではないかな、と

思っています。

 

 

もし、今

赤ちゃんの死を宣告され、

悲しみの淵にいるママやパパが

このブログをみて下さっているなら

 

書く時は本当にツライけど、

死産であってもバースプランを

作成することをおすすめします。

 

この時、出来なかったことは

もうこの子には

一生出来ないことですから。

 

悔いが残ります。1つの後悔が

その先の自分を苦しめる。

 

そうならないために、どうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

『写真を、とろう』

 

 

出産直後の安静時間になったわたしは

ヤサさんととも君と

3人の時間を過ごしていました。

 

私は、産む前にヤサさんに

ひとつお願いをしていました。

 

それは

 

『産まれたときや、

 色々処置をしている所の

 とも君の写真を撮って』

 

ということです。

 

病院側にもバースプランに書いて

了承を得ています。

 

産まれてすぐや、身長体重を

測っているところなど

沢山の写真を残しました。

 

これまで、沢山の方の

死産ブログやInstagramを見て

 

つらすぎて写真を

残すことができなかった

けど、後々写真を撮って

おけばよかった…と後悔している方や

 

そもそも亡くなっている子に

カメラを向けることを良く思えなかった。

 

と写真をあまり残されていない

印象を受けました。

そしてそれを後悔されている事が

多いようにも感じました。

 

私はどうしたいか、と考えたときに

 

この忘れたくない瞬間を残したい。

 

明日は骨になってしまう

我が子との貴重な時間を

ずっとずっと覚えておきたい。

何年先も、おばあちゃんになっても。

 

そう思うなら写真として残さないと

覚えておけるには限界がある

こんな大切な時間を

忘れてしまうのは絶対に嫌だ。

 

そう思ったのです。

 

悲しい時間だけど幸せで

写真に写る私は笑っています。

 

いまでもその時に撮った写真達は

何枚も飾ることのできる

フレームに入り仏壇に飾られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

母親としてのわがまま

 

 

そして、明日を迎える前に

主治医にどうしても相談したい

私の『母親としてのわがまま』がありました。

 

 

それは、『今日』退院できないか。

ということでした。

 

無理を承知なのは分かっていました。

 

2時間で産まれてきたとはいえ

経膣分娩で、どんなに安産でも

一泊二日の入院は免れない。

 

でもそれじゃあ、

どうしても嫌でした。

 

1日でもいい、

一晩でもいいから

家族4人の時間を 

自宅で過ごしたかったんです。

 

明日骨になってしまう我が子の

柔らかな手を握れるうちに。

 

私の一生の願いでした。

 

最初は

『広いお産室に

 特別に家族全員で

 泊まってもいいから

 退院は危ないよ、病院で過ごして』

と言っていた先生も

 

私の譲れない願いと

夫婦2人ともが看護師であり

しっかりと母体の状態をみること

絶対に無理をしないこと

絶対安静&車椅子で移動すること

火葬以外はベットに寝ていること

少しでも変わったことが

あるようならすぐに再入院する事

 

を条件に出産から6時間後に

内診で問題がなければ

出産当日の夕方に退院してもいいと

許可をいただくことができました。

 

 

 

 

 

 

幸せな6時間

 

 

 

それから内診までの6時間

私は疲れからか

ウトウト&後陣痛に苦しみながらも

 

とも君とヤサさんと

幸せな時間を過ごしました。

 

『出血しやすくなってるからな…

   あんまり触ったら…ごめん、

 とも君ちょっとだけ!』

 

と何度もクベースの中に横たわる

とも君の頬をプニプニするヤサさん。

 

身体がむくみ、皮膚が薄くなっていたので

産後すぐに巻いてもらったガーゼが

張り付きじんわりと血が滲んでいました。

 

私は、私のお腹を蹴ったり

ぎゅーっと押していたであろう

小さな手や足を

そおっと、握ったりさすったりしました。

 

 

 

 

少しでも出血が抑えられるよう

アイスノンを体のまわりに敷きました。

 

ごめんね、痛いね、寒いね。

少しでも安心するように

家から持ってきた私たちの匂いのする

バスタオルにとも君を包み込みました。

 

手を伸ばせば会いたかった息子が

ここにいる。

 

とも君、お母さんいつまでも

『お腹の中にいて欲しい』って

思ってごめんね。

こんなに可愛かったんだね。

大好きだよ、ありがとう。

 

わたしはあたたかい気持ちで

胸がいっぱいでした。

 

 

まるで、死産ということや

これから待ち受ける我が子との別れは

どこかに置き去りになったかのように

 

涙は出ず

幸せで、我が子を慈しむ時間を

過ごしました。

あたたかくて、幸せで、

悲しい時間でした。

 

 

 

 

 

 

小さな棺桶

 

 

 

大人の棺桶の半分くらいの

小さな棺桶が届きました。

それを見て一気に死が現実味を帯びて

私に迫ってきました。

 

病院で用意できるものは

棺桶というよりは紙製の

簡易な箱のようなものと聞いていたので

 

沢山のお花やおもちゃなど

入れたいものが沢山あったので

ヤサさんに葬儀屋さんと連絡をとって

用意してもらった小さな棺桶でした。

 

大人が1人で抱えられる

小さな棺桶。

 

でも、とも君が入るには大きすぎて

まわりに綿やハンドペーパーを詰めて

帰り道に動いてしまわないようにしました。

 

 

抱っこだと、わたしの温もりで

出血してしまうので諦めました。

 

小さな棺桶の蓋を閉めて

風呂敷に包み、上から先ほどまで

とも君を包んでいたバスタオルをかけ

家に帰る準備を整えました。

 

 

 

 

 

 

初めて出た涙

 

 

夕方の内診、出血もなく子宮復古も

順調のため退院許可をいただいた私は

家族4人の時間を過ごしたい一心で

帰り支度を進めていました。

 

 

『マツノさん、辛かったら

 泣いていいんだからね。』

 

そう主治医から言われて

とも君を産んでから

始めこそ泣いたものの、

その後の6時間は

泣いていないことに気が付きました。

 

それと同時に私に来客がありました。

私が勤務している部署の師長さんでした。

 

師長さんは私の顔を見るなり

ぶわあっと泣いて

 

『よく頑張ったね!

 マツノちゃん

 つらかったな…

    なんでこんな事に…!』

 

と人目を憚らず私を抱きしめて

わんわんと泣いてくれました。

 

そこではじめて私は

堰を切ったように涙を流し

 

『師長さん、がんばったけど、

 頑張ったけど…生きて

 産んであげられなかった…

   駄目だったよ…!』

 

と子どものように泣きました。

 

 

悲しみはどこかに

行ったんじゃなかったんだな。

封をしてみないように

してただけなんだなぁ。

 

泣きながら、

変ですが少し安心している

自分に気がつきました。

 

 

 

 

立つとまだフラフラしてしまうので

車椅子の私とヤサさんの手には

真っ白の風呂敷に包まれ

小さな棺桶に入ったとも君。

 

 

エレベーターが閉まる最後まで

助産師さんと師長さん、

そして主治医の先生は

私たちを見送ってくれました。

 

 

 

 

さあ、帰ろう。

家族4人で時間を過ごそう。

 

 

 

 

最初で最後の家族4人の夜が

これから始まろうとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

280日後に会いたかった

あなたへ20に続きます。

 

いつもご覧いただき

ありがとうございます。m(_ _)m

 

死産関係の投稿ばかりで申し訳ありません。

この280日後に会いたかったあなたへは

あと続いても3〜4話で終了予定です。

 

 

もうしばらくお付き合い下さい😭

 

 

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