兼業主婦マツノの日毎夜毎

出産・育児・家事・仕事のドタバタ劇を拙いイラストを中心に綴っております。趣味の写真、観葉植物、切り花、グルメ情報やレシピなど様々なカテゴリーも!

【終】280日後に会いたかったあなたへ22

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※死産に関する投稿です。

ご理解のある方のみご覧ください※

 

今回が最終回です。^^

あとがきに詳しく

書きたいと思いますが

沢山の皆様にご覧いただいたり

あたたかいコメントを

いただけることが励みとなり

最後まで自分の体験を

書き記すことができました。

本当にありがとうございました。

 

 

今後も死産後の生活や

関連する投稿は

続けていくと思いますので

引き続きご覧いただけると幸いです^o^

 

前回の280日後に

会いたかったあなたへ21は

こちらからどうぞ↓↓

 

 

www.matsunomatsuno.com

 

その他の死産関連の記事は

右上サイドバーの

死産カテゴリーからすべて

ご覧いただけます。

 

 

 

 

 

それでは最後です。↓↓

 

 

 

 

 

 

 

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灰になった息子

 

 

 

火葬炉の扉を閉めてから

1時間も経たないうちに

職員さんから

声がかかりました。

 

私は、『その姿』を

見たくありませんでした。

 

正確に言うなら

その姿を受け止められる

精神状態ではありませんでした。

 

 

そもそも、家族が骨を拾うという

システムってなんなんだろう。

 

私は、その人の最後の姿を

生身の状態で覚えておきたい。

でも、火葬された最後

お骨拾いをすることで

最後の姿として目にするのは

真っ白な骨の姿…。

 

家族としてのケジメとか

最後まで責任を持って…とかいうけど

なんのケジメ?って思うし

 

火葬炉から自動的にセットされた

骨壺に収納され、残りは共同墓地に。

とかにオート化されたら

火葬場のスタッフの手も煩わせないし…

近い将来実現されないかな…

 

 

…すみません、

話がズレましたね。

 

 

 

お骨拾いの部屋に案内された私は

さらに小さくなったともの姿を

直視することが出来ませんでした。

 

焼け切ったにおい、

肌で感じる熱気。

 

灰にはなりきらなかった

溶けて固まった哺乳瓶。

 

604g30cmの小さな身体が

さらに小さくなってそこに居ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が子の骨を拾うということ

 

 

 

小さな小さな骨でした。

みるだけで涙が溢れ

骨を拾うことができませんでした。

 

昨日、産んだんだよ。

お腹を痛めてやっと

会えた我が子なのに。

 

4人の時間なんて一瞬だった。

それが…もう…こんな姿になって。

 

我が子の骨を拾うなんて経験は

人生で無くていいことです。

それほど辛い光景でした。

 

私は、この子のこんな姿を

見るためにお腹を痛めて

産んだんじゃない。

 

なんで…

なんでこんな事に…

 

そのときは

『天国にいったんだね』

とか

『よく頑張ったね』

なんて思えずに

 

ただただ悲しさだけでした。

 

 

熱気でむせかえるような

暑さのお骨拾いの部屋で

汗をかきながら

小さな刷毛まで使い

とも君の骨と遺灰まで

すべて集めてくれたのは

夫のヤサさんでした。

 

 

『俺が全部もってかえる』

『ひとつも残らずにお家に帰ろうな』

 

その姿にが骨になっても

ともに話しかけながら

お骨を拾ってくれる

ヤサさん。いいお父さんだね。

 

ダメな母な私は

ひたすら泣くしか

出来ませんでした。

 

 

そうして、やっと会えた我が子は

さらに小さな姿になり

片手に持てる骨壺に入って

自宅に帰ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

帰ってきた我が子とメモリアルベア

 

 

火葬を終え、ぼーっと放心状態でいた時

玄関のインターホンが鳴りました。

 

2つの大きな段ボール。

 

 

ぼっちゃんとともくんの

メモリアルベアでした。

 

2人の出生体重を再現した

2つのテディベア。

 

火葬してしまっても

とも君の重さを

続けて感じられるように

昨日、とも君を産んですぐに

注文したものでした。

 

ぼっちゃんは3500g越えの

ビックベビーだったのですが

まず坊ちゃんの方の

クマをだっこして

 

『ははは!でっけえ〜!重いなー!』

 

と笑っていたヤサさん。

 

次にとも君のクマを

抱っこしたヤサさんは

まるで子どものように

顔をくしゃくしゃにして

泣き始めました。

 

びっくりして

『どうかした!?』と聞くと

 

『帰ってきた〜』とヤサさん。

 

『昨日、抱っこした

 あの腕に感じた重さ。

 帰ってきてくれた。

 とも君がここにいる…』

 

とトモ君のメモリアルベアを

ぎゅっと抱きしめながら

堰を切ったように

泣き始めました。

 

ツライのは私だけじゃない。

子どもが大好きで

とも君の誕生を心待ちにしてたもんね。

 

私がとも君を産んで

病院で安静にしている時間に

 

役所にすぐ出向き

我が子の死亡届を書き

火葬や棺桶の手続き

骨壺の購入、遺灰をひとつ残らず

持って帰ろうと涙を堪えて

拾ってくれた。つらいことを

1人でしてくれたヤサさん。

 

あなたがこの子の父親でよかった。

私の夫でよかった。

 

ごめんね、つらい思いをさせて

ごめんね。本当にありがとう。

 

その夜はメモリアルベアも

一緒に布団に入り

家族みんなで眠りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

280日後に会いたかったあなたへ

 

 

280日。赤ちゃんがお腹に宿り

『予定日』と呼ばれる40週0日を

迎えるまでが280日。

 

母親は、280日後に

母親になるのではない。

お腹に宿った時から

もう母親として

我が子の健康を祈る。

 

"すくすく育ってね"

 

誰もが願うその当たり前が

叶わないと知った時

私は人生に絶望した。

 

私はこの子を健康に

産んであげられない。

そもそも残された

時間がもう、少ない…

 

逃げようにも逃げ道も無い。

八方塞がりのように思えた道を

もがいてもがいて苦しんで

やっと受け入れたその日

 

心臓を止めたあなたの姿を見て

 

私も一緒に連れて

行って欲しいと思った。

 

でも親としてなにか

できないのかを考えた時

私に出来る最後のことは

あなたを出来るだけ綺麗なままで

産んで火葬をする事だけだった。

 

 

とも君が産まれる直前

すぐに待ち受ける別れがつらすぎて

『まだいかないで、まだお腹にいて』

と泣いた。

 

静かな世界に生まれた我が子を

心から愛しく思い束の間の幸せを感じた。

 

 

命をかけても過ごしたいと思った

家族4人での最後の夜は

一生忘れない尊い時間だった。

 

 

でも、その時間さえ

あっという間に終わり

小さなあなたは

さらに小さな骨と灰になった。

 

お母さんは、あなたとの時間が

全くなかったとは思っていない。

 

本当は280日後に会いたかった。

 

その気持ちは消えないけれど

あなたがお腹にいてくれた

7ヶ月間、お母さんは幸せだった。

 

つらいだけじゃなかったんだよ。

ちゃんと幸せだった。

 

もし、あなたを授からないという選択が

できると神様が言ったとしても

 

私はあなたと会える道を選ぶ。

 

 

お母さんはきっとまた

沢山泣くけど許してね。

 

とも君、私たち家族のもとに

生まれてきてくれて

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 

1ヶ月間ほぼ毎日自分の

死産経験を振り返り

絵と文字に書き起こしました。

 

とも君の命日は22日なので

とも君に捧げる

280日後にあいたかったあなたへは

22回で終えようと決めていました。

 

 

このブログを書くまでは

 

ほぼ泣いてばかりだったあの時間は

無駄だった、何にもならなかった

と思っていたのですが

この書き起こす時間を通して

 

あの辛かった泣き通した日々も

数少ないとも君を感じられる

貴重な時間だったんだな。

 

と思うことが出来ました。

 

 

死産の苦しみは産んだら終わり、と

いうものではなく

その後月命日や一周忌

普段の何気ない生活でも

繰り返し『喪失体験』を経験し

ボロボロに傷付きます。

 

むしろ、そこからが

苦しみのスタートなんですよね。

 

 

私も死産後1ヶ月で

あんなに優しいヤサさんと

離婚危機になりましたから。

 

 

今後の死産カテゴリーの投稿は

その後の生活をメインに

投稿していこうと思います。

素人絵ではありますが

あの時の思いに近い内容を

お伝えできたらと思っておりますので

 

 

 

今後ともマツノブログを

よろしくお願いしますm(__)m

 

ご覧いただき

本当にありがとうございました!

 

www.matsunomatsuno.com