兼業主婦マツノの日毎夜毎

出産・育児・家事・仕事のドタバタ劇を拙いイラストを中心に綴っております。趣味の写真、観葉植物、切り花、グルメ情報やレシピなど様々なカテゴリーも!

280日後に会いたかったあなたへ15

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※※死産に関する投稿です

ご理解のある方のみご覧下さい※※

 

 

 

 

280日後に会いたかったあなたへ14は

こちらからどうぞ^ - ^

 

 

www.matsunomatsuno.com

 

 

 

それ以前の死産関連の投稿は

右サイドバーにある死産カテゴリーから

全てご覧いただけます。

 

 

それではつづきます(^_^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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支えてくれた人の顔が浮かぶ

 

 

ヤサさんが医大に到着して

家族で説明を聞くまで

わたしは病院の中庭に出ていた。

 

小雨が降っていた。

 

「身体が冷えたら、赤ちゃんによくないから…」

 

ハッとして、涙がこぼれた。

もう、どうしても、何をしても

この子は動かないんだ。

 

胎児診断のクリニックの皆さんになんて言おう。

あんなに心配してくれたいたお姉ちゃんにも妹にも

 

みんな、

みんな、

 

どれほど悲しむのだろう。

 

それぞれの人の

あたたかい気持ちを知っていたから

そんな人たちを私が悲しませてしまうんだ…

 

自分を責めることでしか、

その場に正気を保って留まることができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

口から溢れるのは…謝罪

 

 

いつも「マツさーん」とか「マツノちゃん」

とかニコニコと呼んでくれるヤサさんが

 

「マツノ!!!」

 

と息を切らして仕事場から来てくれた。

 

ヤサさんも少し泣いていて

あんないつも穏やかな人の

悲痛な顔と声色に

 

「ごめんなさい…」

 

とひたすら謝罪の言葉が溢れた。

 

私しか、この子の胎動は分からなかったのに。

私のせいで、この子はお腹の中で心臓を止めちゃった。

もっと早く気づいてれば

最後の胎動でおかしいと

再度救急に駆け込んでいたら

ほんのわずかな時間でも

この世に生まれさせてあげられたかもしれない。

 

まつの家の戸籍に

この子が生まれた証を刻めたかもしれない。

 

「何で謝るんや、大丈夫や。話聞こうな。」

 

いつもの優しいヤサさんの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

ずっとお腹の中にいて欲しい

 

 

  

ヤサさんと揃って先生の説明を受けた。

先生はとても丁寧に話をしてくれたが

正直この時のことはあまり記憶にない。

 

 

 

「この後」のことが先生の口から出た。

 

このまま、心臓を止めた赤ちゃんを

お腹に入れておくと

「死胎児症候群」というものを引き起こす可能性があり

赤ちゃんの成分が母体に溶け出し

DIC(播種性血管内凝固症候群)などを引き起こし

母体を危険に晒してしまう。

 

それに、すでに7mmの浮腫が出ているが

それが全体に及んできて

皮膚も脆くなり、めくれたり

ボロボロになってしまって

綺麗な姿では出て来られなくなる、と。

 

「できるだけ、早く出してあげた方がいいです」

 

 

ああ、もう…出産するとも言えないんだな…

 

と絶望感が襲いました。

 

 

私の、母体の危険なんてどうでもいいと思いました。

 

ヤサさんと坊ちゃんには申し訳ないけど

 

‘’自分なんてどうでもいいからこの子とずっと一緒にいたい‘’

 

そう、思ってしまっていました。

 

 

 

でも、私がどれだけお腹にいて欲しくても

とも君にとってもう私のお腹の中は

心地の良い場所じゃない。

自分の身体が崩れていく

ただの濁った水の中……。

お腹にいて欲しい、は私のエゴなんだな。

とまた泣きました。

 

 

 

 

もう、とっくにキャパを超えているのに

とも君が痛々しい姿で出てきたら…

私は耐えられない…。

 

 

 

 

「今すぐにでも早く、出してあげたいです」

 

 

 

 

振り絞った私の返事に先生が続けて話す。

 

「ウチは今すぐにでも受け入れできます。」

「ただ…」

 

少し先生の表情が曇る。

 

「辛いことばかり話してしまうけど、 

 産んだ後24時間後には…お住まいの地域で火葬が必要です。

 ウチでは基本1泊2日は入院してもらいます。

 どうしてもの場合外泊許可も出しますが

 幼いお子さんもおられながら、県を跨いでの往復と

 役所での手続きはパパさんもかなり厳しいでしょう。

 何より、ママが火葬に立ち会えないかもしれません。」

 

 

火葬…

 

たった2時間前までバースプランを持って

希望に満ち溢れていた時間からの落差に

もうついていけなかった。

 

 

「なので…お家に1番近い

 元々検診で通われていた病院に戻ることも

 考えられたほうがいいと思います。」

 

涙と、冷や汗と動機と寒気と

自分の身体が自分のものではないような

気持ち悪い感覚だった。

 

 

 

家族4人で過ごしたい

 

 

元の病院に戻る…

一番はじめの胎児スクリーニングを受け

4日前の救急受診で「赤ちゃん苦しくなってきています」と言いながら

「普通に過ごしていいよ」「緊急帝王切開はできない」と言われた場所。

 

正直不信感がなかったとは言えない。

 

 

でも、自分で産んでちゃんと最後まで見届けたい。

 

そして、少しでもいいから

家族4人で過ごす時間が欲しい。

 

それを叶えてくれる可能性がある病院は…

 

 

いろんな言葉を飲み込んで

 

「元の病院に戻ります…」

 

そう伝え、大学病院を後にした。

 

 

 

 

明日、入院。ヤサさんにかけた言葉。

 

 

 

ヤサさんが運転する車の中で

元の病院に電話をかけ、事情を話すと

いつも検診でお世話になっていた

助産師さんが電話元に立ってくれた。

 

「ウチで明日からでも待ってるよ。

 先生も私たちも、病棟にもしっかり伝えとくから。」

 

 

そうして、私は死亡宣告された次の日

色々な思いを抱えた元の病院で

出産に臨むことになった。

 

 

「ヤサさん、明日から入院で大丈夫だって」

「ヤサさん。」

「ヤサさん、生きて産んであげられなくて、ごめんね。」

 

 

後部座席からヤサさんにそう伝えたが

ヤサさんは肩を震わせながら

静かに泣いていた。

 

"ごめんね…みんなごめんね…“

 

 

 

 

 

私も静かに泣きながら、

 

お腹が張ってダメだから!と

なかなか撫でられなかった

もう二度と動かないお腹を

いつまでもさすり続けました。

 

 

 

 

 

「最後の胎動」編はこれで終わりになります。

280日後に会いたかったあなたへ16からは

「産声のない出産」編をお送りします。

 

 

よろしければ

1周忌の節目に描いた

「死産後の生活〜1周忌ではなく誕生日と呼びたい理由〜」

もご覧ください^^

 

 

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