兼業主婦マツノの日毎夜毎

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二度と会えない祖母へ

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こんにちは、マツノです。

毎日更新が途切れたのには

ある理由がありました。

 

 

www.matsunomatsuno.com

 

以前この記事で書いた

母親のように慕っている祖母。

入院中でしたがコロナの面会制限で

この4ヶ月会えず、

 

 

 

会いたくても会えない。

夢でもいいから会いたい。

 

そう思っていた祖母が

6月30日帰らぬ人となりました。

 

 

 

 

 

 

これから綴るのは

祖母と過ごした最後の3日間。

 

ありのままを書いていますので

重い内容ですが読み進めていただければ幸いです。

(以下写真画像:1枚目ぱくたそ その他写真AC)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中の着信

 

 

 

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夜中4時前

祖父からの電話に飛び起きました。

こんな時間に

スマホに表示された

祖父の番号を目にした途端

 

"誰に何が起こったか"

 

私は瞬時に悟っていました。

 

 

『おばあちゃんの心臓が

 とまってしまった』

 

泣き濡れている祖父の声

 

 

危ない状態、今夜が峠

そんな言葉を通り越して

耳に届いた

 

『心臓がとまってしまった』

 

という言葉に

涙が溢れて混乱してしまいました。

 

 

とにかく

とにかくおばあちゃんの所に

向かわなければ。

 

いつかは来ると思っていた、

でも身体が思うように動かない。

 

 

 

ヤサさんが先立って準備してくれ

まだ眠っている坊ちゃんを

パジャマのまま抱っこして

病院に向かいました。

 

 

 

 

 

 

まっすぐな心電図

 

 

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午前5時病院に到着しました。

せめて最後に声を届けたい。

その思いでした。

 

 

 

しかし、処置室に通され

目に入ったのは

真っ直ぐな線の心電図。

 

まだ人工呼吸器には繋がれて

点滴も滴下している状態でした。

 

15分前に、医師の死亡確認が

終わっていました。

 

DNARといって、延命処置を臨まない

方針を伝えていましたが

状態が良くなっていた

矢先の急変だったため

担当医から当直に

話が伝わっておらず

 

挿管・心臓マッサージが

なされた後でした。

はだけた胸元。背板も入ったまま。

 

4ヶ月ぶりに、

やっと再開した祖母は

2度と目を開けませんでした。

 

 

 

 

 

 

こんな最期を迎えていい人じゃなかった

 

 

 

『声をかけたってくれ』

 

涙でぐしゃぐしゃの祖父が言います。

 

 

私は、冷たくなった祖母の傍らに寄り

もう浮腫むといけないので

点滴を止めました。

それから心臓マッサージのために

はだけた胸元のボタンを

止め直しました。

 

駆けつけていた

担当医が口を開きました。

 

『夜中の3時半ごろ、巡回中の看護師が急変されている状態に気付き、

そこから処置を行いましたがもう心臓は止まっていて…

おそらく嘔吐物の窒息、そうでなければ血栓が飛んだか…』

 

 

前日までの検査データに

異常初見は無いものの

胃瘻注入後

嘔吐を繰り返していた祖母。

 

どんなに苦しかっただろう。

こんな、誰にも看取られずに

暗闇の中でもがいて、苦しんで。

 

違う。おばあちゃんは…

そんな風に最期を

迎えていい人間じゃなかった。

 

大勢の孫に囲まれて

ありがとうと沢山感謝されて

旅立つべき人だった。

 

 

悔しい…なんて無念なんだろう。

あんなに会いたかった祖母に

やっと会えたのに。

 

 

祖母が無念で、悔しくて

まだ少し温かい

頬や手をさすり続けました。

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんの願い事

 

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『出来ることは全部したい』

 

エンゼルケアをなるべく

家族と一緒にさせて下さいと頼み

爪を切ったり、髪の毛を洗ったり

着替えをしたり、お化粧も。

 

集まった家族全員で代わる代わる

祖母に話しかけてケアをしました。

 

 

『家に帰りたい』

 

かなり認知症がすすんでも

そう言い続けていた祖母。

その願いがやっと叶いました。

 

 

車椅子の祖母が

バリアフリーで使えるように、と

新調したスロープは

1度も祖母に見てもらえぬまま

土砂降りの中

もう冷たい祖母を乗せた

ストレッチャーが通りました。

 

 

おかえり、おばあちゃん。

やっとやっと帰ってこれた。

 

 

約2年間待ち焦がれていた

家に帰ってこられたね。

 

でも。なんで、もう動かないの。

おばあちゃん。くやしいよ。

 

 

 

 

 

最後の晩餐

 

 

 

祖母が家に帰ってきて

仏間のお布団に誰からともなく

周りに人が集まります。

一緒に横になったり、話しかけたり。

 

本当に眠っているようで

ちょっと冷たいだけで

パチっと目を開け起きそうな祖母。

 

 

まるで現実味がない。

 

フワフワとした思いのまま

あっという間に夜を迎えました。

 

 

この家で、祖母が居るうちに

食べられる晩ご飯は今日が最後。

明日は棺桶に入って式場にうつります。

 

 

私がご飯を作った時

本当に喜んで食べてくれたので

最後のご飯を私が作りました。

 

沢山の魚介の漬け丼と

アサリのお味噌汁

きゅうりと茗荷の浅漬けに

もやしの胡麻和え

こんにゃくのおかか煮

 

 

食べることが大好きなおばあちゃん。

 

もう、晩年は胃瘻で

口から食べることも出来なかった。

そして最期の最後まで

吐いて苦しかったもんね。

 

特段豪華でなくてごめんね。

おばあちゃんのご飯には遠く及ばないけど

いっぱい食べてね。

今日はあのラスクまでは作れないから

またお供えするね。

 

祖母が立っていた台所で

祖母が使っていた調理器具を使い

ゆっくり最後の料理をつくりました。

 

 

 

 

湯灌と"おくりびと"

 

 

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次の日、湯灌にも立ち会いました。

 

お風呂にも満足に入れなかった祖母。

よくかゆいかゆいと体をかきむしり

点滴もひっかけて抜けてしまうので

ミトンや抑制帯も使われていました。

 

やっとゆっくりお風呂に入れるね。

 

納棺士さん達の流れるような技術

大切な人を丁重に扱ってくださる

態度に感動し、家族みんなが

おばあちゃんによかったね、と

声をかけました。

 

 

湯灌が終わりいよいよ納棺となる時

カーテンがフワーッと舞い

光が差し込んで寝ている祖母が

光に照らされました。

 

その光景がとても綺麗で、神々しくて

 

『ああ、おばあちゃんは天国に行くんだな』

 

と思いました。

 

 

 

 

 

納棺をすると、いよいよ祖母との

別れが近づいているような気がして

誰も上蓋を閉めませんでした。

みんな祖母に触りたくて、側に感じたくて。

 

 

ホールへの出棺までの時間に

孫みんなが集まって祖母に

それぞれ手紙を書きました。

 

沢山の想いが詰まった何枚もの手紙。

おばあちゃん、棺桶に一緒に入れるから

あっちでゆっくり読んでね。

 

 

 

 

あっという間に

出棺の時間がやってきました。

 

祖母の身体が思い出の家から

旅立ってしまう。

どれだけ魂はここにいると言おうが

次に帰ってくる時は 

骨壺に収まっている祖母。

皆涙がとまりませんでした。

 

 

次々に待ち受ける『最後』

悲しみは尽きないものです。

 

 

 

 

 

お通夜、おばあちゃんとの夜

 

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家族葬でしたのでお通夜は

あっという間に終わってしまいました。

 

 

家族満場一致で選んだ遺影は

私の結婚式でピースをしている祖母。

ピースを加工で消さずそのままの

とても素敵な遺影。

 

 

 

だから、悲しいはずなのに

遺影を見たら不思議と笑顔になる。

元気だった、今にも動き出しそうな

祖母がそこに居ました。

 

 

 

 

夜、家族控え室に私も含め

沢山の家族が泊まりました。

 

みんなが寝静まった深夜

姉と、妹と弟で

祖母の棺桶の周りに座り

いっぱい思い出を語りました。

 

ちなみにみんな私が死産した

とも君の最期にも駆けつけてくれた

大切な姉弟です。

 

確実に迫っている『火葬』という

祖母の肉体との別れが辛く、嫌で

 

静かなホールの中4人で泣きました。

 

 

 

 

祖父のこころ残り

 

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約2年間祖母を献身的に介護していた祖父。

 

祖母は急変だったので

祖父の悲しみは計り知れないものでした。

 

 

 

 

 

突然ですが皆さんは

(虫の知らせ)を信じますか?

 

 

今回、祖父は

まさにその体験をしたそうです。

 

 

 

祖母が急変したちょうど夜中の3時ごろ

『おじいさん!』と自分を呼ぶ

祖母が夢に出てきたと。

 

ハッとし飛び起き、しばらくすると

病院から連絡があり

この急変を知った祖父は

 

『おばあちゃんが、ワシを呼んだんよ』

 

と泣いていて、

一つ心残りがあると言うのです。

 

祖母がなくなる前日、

コロナ対策のため面会できず

着替えだけを交換することが

許可されていた祖父が

病院に向かうと

いつもと違う様子で泣く祖母。

 

 

『おじいさん、帰らないでお願い。』

 

とすがる祖母に

 

『大丈夫、また来るからな』

 

と声をかけて病院を後にした祖父は

その泣き顔と声が頭に焼き付いて

離れないと泣いていました。

 

当たり前に来ると思っていた明日が

突然閉ざされる。

当たり前の『また明日』は

無いんだ、なんて

日常では気付けないよ。

居なくなって初めて当たり前の尊さに気づく。

 

私には計り知れない祖父の悲しみに

背中をさすり話を聞き続けることしか

できませんでした。

 

 

 

フラッシュバック

 

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私はこのブログで亡くなった我が子に向けて

280日後に会いたかったあなたへ

というものを続けて投稿していますが

また描けていない私のトラウマがあります。

 

それが『火葬』です。

 

 

 

いよいよむかえる大切な祖母の火葬に

あの日のトラウマが

蘇らなかったと言えば嘘になります。

 

 

 

 

最後の、対面。

棺が乗せられ音をたてながら進む荷台。

火葬炉の中に棺が入っていく光景。

点火ボタン。轟々と音を立てる炎の音。

 

そして、お骨拾い。

部屋に立ち込める焼けたにおいと

肌に感じる焼け切った温度。

 

 

みんな心を決めてちゃんと祖母を

送り出しているのに

 

私はもう、涙涙で、

また大切な人が居なくなってしまう…と

 

嫌だ…と小さな声を振り絞りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたを偲びながら、思うこと

 

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そうして、小さな骨壺におさまった祖母は

また大好きな自宅に帰ってきました。

 

本当にお疲れ様。

おばあちゃん、

今までお疲れ様でした。

 

 

心残りも沢山あります。

 

孝行したかったこと、話したいこと

そしておばあちゃんと生きたかった未来。

もう、2度とこない、その未来。

 

 

その心残りが少しでも少ないよう

生きてるうちに出来る事を惜しまない事が

最期の別れを笑顔で

見送れることに繋がるのかな?

 

 

出来ることを出来るときに。

後悔先に立たず。

大好きで大切な人は、

生きている時に大切にしなきゃ

伝わりませんもんね。

 

私、出来るなら、叶うなら

またおばあちゃんと

家族になって生まれたい。

 

 

 

そして自分もそう思ってもらえるような

人間になれるように

おばあちゃんに恥ずかしくないような

生き方ができたらと思います。

 

 

 

 

 

こんな長く、暗い内容を

ここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

まだまだ立ち直るには

時間がかかりますが

 

今後ともマツノブログを

よろしくお願いします。m(__)m